さっちゃんこ・んな日々

日々の出来事、感じた事を思うままに綴っています。

サワコの朝 村治佳織さん◆舌腫瘍を乗り越えて

 

 

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2017年8月5日(土)今日のゲストは

世界が認めるクラッシックギター奏者の村治佳織さんです。

村治佳織2
おきれいですねー✨

1978年生まれ(39才)
 ギター教室を営む父親からギターを3才から習いはじめ、11才の時には、高校生までが参加できるジュニア・ギターコンクールで小学生ながらに最優秀賞を受賞し4年後には、15才という若さでCDを発売しプロデビューを果たしています。


 20才で発売したアルバム「カヴァティーナ」
クラシックでは異例の20万枚の大ヒットを記録。
そして、村治さんが世間に知られたきっかけはテレビCM。
伊藤園の「充実野菜」

25才にはイギリスの名門レーベル「デッカ」と日本人としては初めての長期契約を結びました。


クラシックギターとフォークギターの違い・・・ 



 ●クラシックギター

・幅→太い
・弦の材質→ナイロン。釣り糸と同じ材質
・弾き方→指引きのみでピックは使わない。自分の爪がピック代わり。

●フォークギター→細い

・ネックの幅→細い
・弦の材質→スチール(金属)
・弾き方→ピックが中心


 2才の頃から、毎日ギターに触れギターはおもちゃ代わりでした。
ご飯を食べるのと同じ感覚で1日の中でギターを弾いていました。
自分=「ギターを弾く人」そんな認識。


人に聞かせる喜びを知った



 誕生日の日に親戚が集まると、ケーキを食べる前にギターを1曲披露してました。
そこでみんなが拍手してくれるのでそれが最初の喜び。
みんなが喜んでくれる。



記憶の中で今もらめく1曲目



スティングの「フラジャイル」
2001年、初めて聞いた時に何て言い曲なんだと思った。




数年後、誰かゲストをお呼びしてコラボをしようと言う企画があって、ドミニク・ミラーはどうか?と。ドミニク・ミラーを知らなかったんですが、スティングと長年一緒に活動しているギタリストだったんです。
そして数曲レコーディングしたんですけど、その時「フラジャイル」も一緒に演奏しました。



 




 ギターが辛いとかやめたいと思うことはなかったです。
やめたいという辞書が自分の中になかったし、始めたというキーワードもないんです。
知らないうちに始っちゃってるので。
ご飯食べるのやめると思わないじゃないですか、そういう感覚。

 


デビューして気づいた事



クラシックギターって知られてないんだって事。

地方公演で諾さんの方にいらしていただいて、行く先々でいろんな方とお話しをして、いろんな質問を受けて、私の中で当たり前だと思ってたことが全然そうじゃなかった。
自分がクラシックギターを広めていく役目ができればいいなと思いました。


2016年発売のアルバム「ラプソディー・ジャパン」は日本のわらべ歌を収録しています。
編曲はギタリストの藤井眞吾さん。ギターの事をよくわかってる人が編曲するので音を効果的に使えるんです。


演奏するのに大切にしていること



 楽譜に何が書かれてあるか、作曲された方とか編曲された方の意図をまず汲むという事を大事にしています。最初から自分の表現じゃなくて。
楽譜に書かれている細かいところを見ます。
女優さんが台本読むのと同じ。


神経麻痺と舌腫瘍



ある日突然、右手の手首から先が動かなくなりました。
腱鞘炎とは違うので、痛みはないんですが原因は疲れ。
演奏会の朝、歯ブラシが持てない状態になりました。
それは3ヶ月で治りました。
そして数年後にまたなりました。
その時は20代後半。
すごく前向きでスペインに住んでて人生楽しい、全て楽しもうと思っていたのですぐに気持ちが切り換えることができて、乗り越えられない試練はないみたいな感じでした。
そして2013年に舌腫瘍。



落ち込んだ・・・受け入れたんですけど。
手術をきめた後4日間くらい、なにもやる気がでませんでした。
でも手術を受けるその時には平常心でいたいなーと思いました。


人知れず復帰したかった



 受け入れるしかないなって。
戦うっていう気はなかったです。
戦うんではなくってこれはもう起きた事だから、それを受け入れる。
それで後はもう流れに任せる。


あえて復帰の目途を立てなかった



「今、振り返ってよかったなーと思うのは、いつまでに治すという制限を決めなかったことです。
神経麻痺の時はできるだけ早くなおして、まだコンサートと言う風に思いましたが・・・。」



病気を治すことを頑張らない


舌腫瘍この時は、自分を頑張るっていう気持ちに持って行くのはやめようって思いました。
吉永小百合さんのマネージャーさんから命と仕事なら命が大事に決まってるでしょ!って言われました。


吉永小百合さんと20年の付き合い



吉永さんとの出会いは?17才の時でした。
吉永さんがライフワークでずっとされている原爆の朗読。
そのCDそ作る際にBGMを探してて、当時はもう3枚のCDを出してましたので、私のアルバムが選ばれました。それから、コンサートをされる時に小百合さんの朗読の後ろで弾くということを、何回かさせて頂きました。
それで打ち上げでスタッフみんなでお食事に行ったりしhてるうちに、少しづつ少しづつ仲良くなって。
最初は小百合さんの映画女優としての活動はほとんど知りませんでした。

私にとって吉永小百合さんは、女優さんと言うよりは、1人の人間として、尊い事をされてる人なんだという印象」

舌腫瘍治療中のは、小百合さんなくしては・・・。
感謝してもしきれないというのはこの事です。
常に側にいたくださいました。その1年くらいは友達よりも会ってました。
退院してすぐにカナダの別荘に誘っていただいたり、小百合さんのダンナさんから『生成り行きでいいんだよ、長い人生の中で2~3年くらい休んでもいいと思うよ
生成り行きでいいんだよと言われたことがとてもよかった。



今、心に響く曲は 
休養前の自分と今の自分をつなぐ曲


カルロ・ドメニコ―ニの「コユンババ」という曲です。
イタリア人のギラリとの書いた曲。
トルコに住んでた時期に、トルコの民謡を聞いたり、旅をしたりして見た光景からインスピレーションを得て作った曲。
休養前のコンサートでたくさん弾いていた曲です。
復帰して前と変わらぬ状態で弾けるようになってる時に、前の自分と今の自分をつないで、そしてまたこれから先も。