さっちゃんこ・んな日々

日々の出来事、感じた事を思うままに綴っています。

サワコの朝 浅田美代子さん◆樹木希林さんの恐るべし洞察力!

 

 

 

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2017年7月22日(土)のゲストは浅田美代子さん。
佐和子さんとも旧知の中だそうです。

1956年生まれなのでなんと!61才です。
とても還暦を過ぎてらっしゃるようには見えません。
初々しくて可愛らしいです。

浅田美代子2

16才の時に2万5千人の中からオーデションで選ばれ、1973年にTBS「時間ですよ」のお手伝いのミヨちゃんとして女優デビューされました。

 

 続いて1974年、TBSの「寺内貫太郎一家」にも出演されました。
その時に共演した演出家の久世 光彦さんと樹木希林さんから学んだ演技論は今でも宝物。


浅田さんの知らぜらる才能を開花させたのが、さんまさんです。
TBS「さんまのからくりTV」(1992年~2014年)
毎回さんまさんをのけぞらせる突飛な発想力でスタジオを爆笑の渦に。

22年もの間レギュラーとして出演しました。

 



いつも天真爛漫な笑顔の浅田さんの秘密に迫ります!


出身は東京都港区
高校2年生の時にスカウトされました。
ご両親は大反対で、オーデションを受けてダメだったら諦めなさいと最初で最後のオーデションだったが合格。


オーデションでは台詞が用意されてて、ギターを弾かなくちゃならなくて、簡単そう・・・で選んだ思い出の曲です。
ギターはこの時初めて手にしたそうです。

美代子さんのきらめく曲。
1曲目は「若者たち」1966年
作詞:藤田敏雄
作曲:佐藤 勝
 歌:ザ・ブロードサイド・フォー

オーデションは無事に受かったんですが、お嬢様学校で学業との両立は認められなかったので、その足で退学届けを出しに行ったそうです。
学校の先生から「本当に浅田さんいいの?」と引き止められたけど、3日後くらいにテストがあって、勉強もしてなかったしもういいやと思って・・・
やめることにしました。
なので高校中退になってしまいました。


芸能界に入ったらすぐに「時間ですよ」のドラマ撮影が始まり、マチャアキと希林さん、3人でトリオ・ザ・銭湯ってシーンがあって、そのシーンは自分たちで作るんです。
久世さんと希林さんとマチャアキで。
そこで練って練って練ってコントができる。
私はお手伝いさんの役だからって、ずーっとずーっと雑巾がけをやらされた。
お芝居はどこに行ったんだ?ってくらいとにかく雑巾がけばっかりやらされてた。



ドラマのファーストシーンは・・・。
田舎から出てきたお手伝いさん役、唐草模様の風呂敷さげてね、「松の湯」って看板を見た時に「まつの湯・・・あ、ここだぁ。私がこれから働くとこなんだ」って台詞なんですが、この「松の湯」のひと言に30回以上のNGを出したんです
「松の湯・・・」「違ーーう!!」と久世さんから怒鳴られるの。

田舎から出てきて、やっと辿り着けた安堵と不安といろーんな気持ちが混ざった「松の湯」なんだと、久世さんに言われたけど全然わからなくて。


サ「泣かなかったの?」
美「泣かなかったけど、何が何だかわからなくて、そんな感情もなく。もうどうでもよくなって、いろんな「松の湯」を言って、それでOKになった感じ」
サ「もうこんなところに居るのはイヤだとは思わなかったの?」
美「そんな時は森光子さん、希林さんが『大丈夫、大丈夫』って」

久世さんにはよく怒られました。
灰皿は飛んでくるし、ほっぺたを叩かれて☆が出たんですよ。漫画のようにホントに☆って出るんだなーって。
でも普段は仲良くて希林さんと3人でお昼ご飯を食べに行ったり、本気で育てようとしてくれてたんだと思う。
丁寧に教えてくれた。
例えば台本に「泣くミヨコ」と書いてあっても涙なんか出なくていいんだ、泣くっていう芝居をするから、涙なんか出なくったって悲しい気持ちは伝わる、だからいいんだ。
大切な事を教えてもらったなーと思う。


赤い風船で歌手デビュー

レコーディングの時は笑顔で歌えと久世さんに言われて笑顔で歌ってました。
でも下手で有名になっちゃいましたね
ドラマの撮影の途中に抜け出して歌番組に出るんだけどみんな見てくれてました。

下手と言われてたので検証をしてみましょう!



どうですか?
やっぱり上手くはないですねー
でも、この歌は難しいですね。誰が歌ってもこんな感じになるかもしれない。

サさん「そんなにへたじゃないよね」
美さん「だって音楽は5だったもん!」



デビューして4年後に結婚。

お相手はフォークシンガーの吉田拓郎さんですよー
拓郎さんの現在の奥様は森下愛子さんです。


噂になった時に樹木希林さんと内田裕也さん夫妻が、吉田さんが飲んでるところに「どういうつもりで付き合ってるんだ!」と乗り込んだ。
吉田さんは「真剣に付き合ってます、結婚するつもりです」って。
それで納得して帰ったらしいです。

浅田美代子さんが、どれだけ周りの人たちから、可愛がられて愛されてたかわかりますね。

その後、拓郎さんとは離婚することになっちゃいました。

それからはお母さまと2人暮らし。

深夜の帰宅や朝帰りをめちゃくちゃ怒るのでよくケンカになりました。
「結婚して離婚してるんだよ、何言ってるの」ってケンカになる。


そのお母さん、風邪っぽい症状で熱が高かったので、念のために検査したら急性リンパ性白血病と言われ治療しなかったら、余命1ヶ月と言われました。
あんなにショックなことはなかった。

その次の日に仕事で希林さんにあった時、普通にしなきゃ、といつも通りに「おはよう」って言ったら、すぐに希林さんが「あれ、美代ちゃんどうかした?あんた何かあったわね、いやあんたじゃないわね。お母さんになんかあったでしょう」って言われてばーって涙が出て。

どうしてわかったのか、わからないですが希林さんはわかるんです。

ちょうどその頃はからくりTVに出演してたので、気持ちの切り替えが大変だった。

サ「さんまさんには言わなかったの?」
美「周りに迷惑をかけるっていうか、やり辛いでしょ」

お母さま、病気発覚から1年8ヶ月後に旅立たれました


からくりTVに出るようになったきっかけ

さんまさんの依頼だった

美「その頃さんまさんとドラマに出てからくりテレビを作るのにプロデューサーがロケ地に来てて、じゃあ浅田さんを口説いてくれないかと言ってくれてみたいです」

サ「期待を大幅に超える活躍ぶり」

美「始めは1クールか2クールぐらいにしか思ってなかったけど、22年も・・・。」

サ「さんまさんとの噂もありましたが?」

美「同級生とか、そんな感覚。仲が良すぎて男同士みたいなそんな感じかな、不思議です。
ホントに彼氏ができない時期がありました。
その頃は、知的な役も来なかった。
弁護士とかお医者さんとか、テキパキって役が。
未だに来ない。あの20年間のイメージが強いんですね。
でも、もうそんな役がきても台詞が言えないかも。専門用語、法律、薬の名前とか。」


2曲目は今心に響く曲
竹内まりやさんの「人生の扉」一目惚れならぬ人耳惚れ
年齢を重ねていく自分と重なる曲


サ「年を取ることに不安とかなにか考える所とかある?」
美「でも、もう、還暦過ぎたらないな。後はどれだけ楽しく過ごせるかっていう事なんじゃないかな。」


おしゃれで素敵な美代子さんでした。